’98年5月、単なるバイク転倒による骨折だったのに、
3ヶ月後に足から骨がなくなった。
『MRSA』というばい菌のせいだった。

圭の足のこと Part2
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1998-05 17 山梨県道志道を上京中、単独で転倒し崖側のガードレールに突っ込む。
バイクは軽傷。
圭は
 ・右足ひざ下の骨を開放骨折。
 ・脳内出血。
等の傷を負い、意識不明状態で救急車にて運ばれる。

その後、意識は回復するが脳内出血と軽い腫れのせいで少し精神異常状態となる。 病院ではいろいろと奇行をしたらしい。

事故直前からこの後数日の記憶はない。

25 意識がやっと明確になり、このころから多少物事を記憶するようになる。
が、病院にいること、なぜ病院にいるのか、などの事柄は理解できなかった。札幌から駆けつけていた母を見て「あれ?なんでかーさん、ここにいるの?」と言ったのが病院での圭の最古の記憶。すでに事故後1週間経過した後だった。
29 事故後最初の接骨手術

骨を金属器具で固定した。この時点では2〜3ヶ月で退院できるだろうということだったが。。。

1998-06

8 手術後の傷が化膿しているのを発見。
検査をしてみると【MRSA】菌に感染していることが発覚。

この菌は抗生物質などでは除菌できず、非常に治療が困難な菌らしい。
病院では院内感染などをおそれ、圭のいた病室は途端に隔離状態となった。

医者からは「このままじゃもしかしたら足を切断することになるかもしれないことを覚悟していてほしい」と言われた。 

 ※でもこのころの圭はまだ頭が半分眠ったままだったので、その言葉の重みなどは理解できず「へぇ〜」という印象しかなかった。

同時に、その病院ではこれ以上の手当ができないということで他の病院への転院を勧められる。 それも「なるべく設備のしっかりした大きい病院を。。。」ということであった。

圭の入院生活はこれ以降、単なる怪我の治療というわけにはいかなくなった。

15 圭の実家が札幌にあるということ、圭の姉が札幌で看護婦をしている関係から、圭の転院先は札幌の某病院ということになった。(ちなみに姉が勤めている病院というわけではない)

転院の日、山梨の病院から羽田空港まで救急車で移動した。救急車ってはっきりいって乗り心地が悪い。ストレッチャーに寝かされたままだと気分が悪くなった。

転院先の病院はとても大きな病院だった。
MRSAの話は病院間で話が通っていたこともあり、すぐに個室に入れられた。
この後、圭はこの病室での軟禁生活が始まった。

入院後、すぐに主治医となってくれた整形外科の先生が診察した。

開放骨折のため、骨が飛び出たあたりの皮膚には大きな穴があいていたが、この時点でその傷はMRSAにやられ、真っ黒に腐食していたらしい。主治医がその部分に対し、何かをせっせとやっているようだったので「何をやっているんですかぁ?」と聞くと「腐ってるところ、はさみで切ってるの」。圭はそれを聞いて「ふ〜ん」と思っただけだった。このころも頭はまだ少し変だったかも。

19 創外固定取り付け手術

5月29日に手術したときに取り付けた金属器具の周りは、MRSAにより大分腐食していたので、「創外固定」という器具に付け変える手術を受けた。

24 創外固定の器具は足の外にあって、ひざと足首の部分にボルトで取り付けられていたが、そのボルト部分が化膿してきたのを発見。

骨を見てみると、骨からも膿が出ており腐食しているのを発見。もう圭の骨は腐りまくり。

26 デブリードメント(骨掻爬)・持続洗浄、創外固定除去術
 ・・・創外固定取り外しおよび骨の削り落とし手術

MRSAが足にいる以上、どんな器具を取り付けても全部ダメになってしまうと判断し、足は何も骨を固定しない状態に保つことになった。

また、骨も化膿しているためその膿を外に出せるよう、骨に穴を開けるつもりだったが、直接見たところ相当腐っていたらしく、急遽、足の骨は半分くらいの太さまで削り落とされてしまった。

これ以降、接骨作業以前にMRSAを除去する作業が最優先と判断され、毎日毎日、消毒液による傷口の「洗い流し&消毒」作業が開始される。

1998-07

  ずっと消毒液による傷口、というか骨の「洗い流し&消毒」作業。骨を毎日ごしごしと洗われるのだ。

1998-08

 

12 骨(腐骨)切除手術

まるまる1ヶ月、MRSAの滅菌に努力したものの、消えてくれなかった。
こうなったらMRSAつきの骨ごと切って捨てることになった。

圭の右足はひざ下10cm部分から、足首上5cmくらいまでの骨を失った。骨がなくなった足図 

本当は足首付近にまでMRSAはいたものの、足首の骨を取ると足首の関節の動きまで失ってしまうことになるため、主治医は避けた。
手術後の消毒作業続行により、足首付近の菌がいなくなることを期待したのだ。

このあと、圭のひざ下は骨を取った傷口がふさがれないまま、さらに毎日消毒処置が続けられた。焼き魚をするとき、内臓を取ってその中を水で流して洗ったりするでしょう?要するに毎日あれをやっていたようなものだ。

1998-09

4 全層植皮術(皮弁形成術)・・・傷口を塞ぐ手術

6月以来、ひざ下の傷口は閉じられたことがなかった。
このまま開いたままにしておくと、わずかに残っているはずのMRSAがまた他の傷の部分に勢力を伸ばすといけないのと、傷口の再生能力の低下を危惧し、骨はないままだが、一旦傷を閉じることになった。
開放骨折した部分付近は化膿した皮膚を切り取られたため、一部自分自身の皮膚移植が行われた。
右足大腿部の皮膚を使ったため、圭の右足は全体が「怪我状態」になった。

1998-10

  現在、入院当初からあった37〜8度の熱も出なくなり、すっかり体調も回復した。
傷口を閉じてしまったのでMRSAの感染もないものと判断されたのか、車椅子で病室の外に出ることを許された。
事故後、転院の際以外、初めて病室以外の風景を見た。嬉しかった。
病院の外へ外出することも可能になった。この頃の日記

しかし足に骨はないまま。芯のない足はプランプランで結構おもしろかった。

1998-11

6 骨内異物除去術・・・右足腓骨から補強ピンを抜く手術

MRIという検査をするために、右足に入っていた金属を抜く手術を行った。この頃の日記
今後の方針が決まったので、その準備のための検査。

1998-12

16 血管柄付遊離腓骨移植術
遊離皮弁形成術
腸骨移植術
全層植皮術
(資料が残っているため、突然医学用語(笑))

今回最後となる大手術が行われた。
捨ててしまった右足の脛骨部分に、左足の腓骨を切り取り移植した。この手術はとても大変な手術だったらしい。移植したのは骨だけではなく、その周りの血管および皮膚もごっそりセットであった。
大変な手術だったため、病院外からエライ整形外科医を呼んで、手術に立ち会ったのは総勢4名のお医者さんだったらしい。
所要時間は9時間。  手術後の足図

これでとうとう圭の右足には骨が戻ってきた。左足からは1本なくなったけど。
術後、一時ひどい貧血状態に陥り、急遽夜中に輸血が行われた。しかしトラブルはこれくらいですんだ。危惧されていた移植血管部の血栓等の問題は発生しなかった。よかった。この頃の日記

1999-01

  その後の経過には特に大きな問題は発生せず。
だが、移植した皮膚が今回はなぜか定着するのが遅く、長い間浸出液がとまらない。傷はいつまでも生傷のまま。。。

また、原因不明の発熱に悩まされている。MRSAの再発かと危惧したけれど、傷まわりの検査結果にもMRSAは発見されなかった。少し一安心。

左足はなんとか復活できた。 腓骨がなくなったぶん、少し不安定さやぎこちなさはあるものの、無事体重を支えることができる。

あとは右足の傷がきれいに治まりさえすれば、病院からは一時復活ができる予定。 やった。 あと少しで外界に出られる!ただし、右足に移植した骨がきれいにくっついて丈夫になるまで、右足には「創外固定」という補強パイプが装着されたままになる。これとはまだしばらくの間、つき合わなければならないようだ。。。ん〜。。。外界に出ても温泉にはいけないなぁ。。。この頃の日記

1999-02

 

14 本日、やっと退院

総入院期間・9ヶ月。

そのうち、病室に軟禁された期間、約5ヶ月。
友人知人のいない札幌に滞在したこと8ヶ月。
長かったなぁ。しみじみ。。。

虚弱なままの左足と両松葉杖のままの生活がこれから長く続きます。
けど、来週からは自分の世界に帰ります。

今までいろいろありました。ここまで随分長く感じました。先はないように思えたこともありました。
だけどもう過ぎ去ったこと。これからは前を向いて生きて行こう。

ずっと励ましてくれた方々、気にかけてくれていた方々、どうもありがとう。この頃の日記

 

   

1999-07

  創外固定レントゲン図未だ、創外固定と松葉杖とともに生きる毎日。

現段階で最後の術後7ヶ月になるが、移植後の骨(左足の腓骨を右足の脛骨へ。。。)はくっついていない様子。
さすがに一度菌にやられてしまった骨は再生機能が遅いということだろうか。。。この頃の日記
     

1999-10

   装具(PTB)創外固定がやっととれた。 これで足から傷と大きな付属物がなくなり大分「普通の人」に近づいた気分。 しかし骨の付き具合は依然とあまり変わらない様子。またもし骨がくっついていたとしても、腓骨で作った足の中心の骨はいつか耐えられずに”疲労骨折”してしまうらしい。

それを少しでも防ぐために、PTBという新しい装具をつけることになった。膝と膝下部分で加重がかかと(骨)にかかるのを防ぐ仕組みになっている。

これからこの装具とのつきあいは長くなるだろう。 しかし慣れれば松葉杖などを使わなくてもなんとか歩けるようになるらしい。一応、これでおいらの足は落ち着いたということになるのかな。この頃の日記

 まだまだ障害持ちであることには変わりないけれど、がんばります。

     
1999-12
  さっそく疲労骨折

装具を使って杖で歩き始めてから、移植接合部の上部がなんとなく不安を感じるようになってきた。 そうこうしている内にある日「ボキッ」という鈍い音を発した。骨が折れたのだ。

予想していた骨折なので特に驚くこともなく、病院で足を固定するシーネを作っこの頃の日記てもらい、またもや両手松葉杖の生活が開始された。創外固定をつけていた頃と違って、今度は明らかに「痛い」ので両松葉生活もしかたない。

2000-01
  骨が折れてから丸一ヶ月。 もう骨の痛みはほとんどなくなった。たまに足を使っても(荷重しても)痛みは感じない。

病院でレントゲンを撮ってもらうとあらびっくり。 折れた部分の骨はすごく太く再生していた。人間の再生能力ってすごい。

再度装具と杖の生活を再開。この頃の日記

2000-02   足は快調。 「きっとまた違うところが折れる」という予測に反して、12月に感じたような不安を感じる部分は一切なし。

あまり調子がいいのである日近所のコンビニまで、装具のみで杖を持たずに行ってみた。とてもうれしかった。両手があいているのが。 しかしうれしさの反面、自分の力のみで「まっすぐ歩く」ことが難しいってことに気がついた。気をつけないとすぐ斜めに歩いてしまう。

しかしこれを機会にそれからの行動はまったく杖を持たずに行うことになった。 外出時にも杖は持っていない。

     
2000-04   足は快調。 折れそうな部分もない。 自分の部屋の中では杖はもちろん、装具もつけずに行動している。 問題はない。 なんか、普通の人にだいぶん近づいた気がしてとてもうれしい。

久しぶりにレントゲンを撮ってきた。 骨はさらに再生している。 しかし、まだ細い部分が太くなるためにはやはり折れないといけないらしい。 自然に太くなろうとする努力はするだろうが、自然にのみ任せていると数十年かかるだろうとのこと。

   
圭の足のこと Part2
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